失われるもの

今日、母さんから親戚が亡くなったという連絡が入った。

ここ一、二ヶ月の間にこれで三人目。親類が亡くなって行く。

僕のじいちゃんばあちゃんではない分悲しみは小さいのだが、不安は募るばかり。

じいちゃんばあちゃんのことを否応なしに考えてしまう。

漫画じみた考えだと思われるかもしれないけれど、僕は、

生を諦めたときに死が訪れるのだろうと思う。

だから、この死の連続に滅入ってはいけないのだと自分に言い聞かせる。

そして、じいちゃんばあちゃんにも滅入らないでいて欲しい。

電話をかけてきた母さんもかなり滅入っていただろうと思う。

声がかすれていたりした訳ではなかったけれども感情を抑えていることがわかる。

家族なんだからお互いの考えていることなんてすぐにわかってしまう。

お互いの考えがわかってしまうことは、お互いに知っている。

別にどうせわかってしまうのに、それでも隠そうとするのが僕ら家族だ。

というか、電話のコール音がなった時点で半分わかっていた。

僕の周辺で何か良くないことがあったのだろうと。

どんなに考えたくなくてもいくら逃げようとしても、だんだんと近づいてくる死という現実。

それが僕を精神のクレバスへと追い詰めてゆく。

 もし僕が家族の一人を失ったらどうなってしまうのだろう。

そんな考えが浮かんでくる。

その答えは、無限大にあるようでまた零である気もする。考えても考えてもきりがない。

絶望 悲壮 達観 不満 懐疑 無力 脱力 無知 後悔 楽観 ・・・・・・

無限の感情は、無でもあるだろう。

全と無との二重性に僕はかき消されてしまうのかも知れない・・・・・・・・・・・・

考えるな。

考えちゃだめだ。考えちゃだめだ。考えちゃだめだ。

自分に言い聞かせて思考を強制停止させる。

 結局、何をしてもあるがままにしかならない。

その言葉が僕の最後のストッパーだ。
あ、オチが無い。

しかも雨天続きのせいか、このところヤな話が続いてる。
今はどうかこの悲しみの連続を、断ち切る力を。